日本語表記についての わたしの たちば



あべ・やすし


あべ・やすしのページに おこしくださり、ありがとうございます。このサイトのおもなテーマは、はじめのページにありますように、-文字文化、日本語表記について-です。ですが、このサイトの内容が まだまだ充実していないこともあり、このサイト内の全部のページをよまれたとしても、わたしの たちばが、はっきりとは わからないのではないかと おもいます。そこで、とりあえず いま現在の わたしの基本的な たちばを説明しておきたいと おもいます。

わたしは、日本語表記について いくつかの問題提起をしています。おもな論点は漢字がうみだす差別の問題についてです。漢字の問題にたいする解決策として、(1) 人名と地名の漢字には、かならずカッコのなかに よみかたをかくこと、(2)日本語に わかちがきをとりいれていくこと、(3)情報保障のために かながき文とローマ字文、あるいは ふりがなをふった文章を提供していくこと、(4) わかりやすい文章をかくことを主張しています。はたして、この主張は実現できるのでしょうか。それは わたしにも わかりません。ですが、それは ひとりひとりが自主性をもって意識的に日本語をかいていくことでしか実現できないことだと かんがえています。ですから、わたしの文章をよまれた かたが、どのような結論をだされようとも、わたしは支持したいと おもいます。いまここにある問題と いくつかの提案をしったうえで、それぞれが それぞれの「こたえ」をだされるのであれば、その「こたえ」を否定しません。ただ、欲をいえば、安易に こたえをだしたり、これが結論だと自分の かんがえを固定するのではなく、たえず なやむ姿勢をたもっていただければと おもいます。「適度に」漢字をつかった漢字かなまじり文が「ただしい日本語表記である」という認識が定着しているなかで、自分の かきかたを自主的に選択するということは、なかなか むずかしいものです。また、なれしたしんできた漢字をすべて否定するということも むずかしいことでしょう。その現実のなかで、なにかしらの こたえをだしていってほしいということです(ここでいう「こたえ」というのは、どのように日本語をかくかということであり、それは日本語をかくたびに こたえをだすという意味です)。


2005年 4月13日


あべ・やすし (ABE Yasusi)

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