「〈やさしい日本語〉と多文化共生」シンポジウム 主催:学習院女子大学(2018年2月17日、18日)


【パネルディスカッション5】障害を持つ人と〈やさしい日本語〉(2018年2月18日)


「ことばのバリアフリーと〈やさしい日本語〉」

あべ・やすし(日本自立生活センター)


ふりがなを つける

ふりがなを とる


はじめに

 ここでは、ことばのバリアフリーの視点から日本語をみつめなおしてみたいとおもいます。そもそも、ことばは、むずかしいものです。ことばがむずかしいと感じたとき、むずかしいといえる社会であることが大事なのだとおもいます。

 もうひとつ大事なのは、この社会のなかですべての人に役割があり、だれでも発言する権利があるということです。意見をいうこと、議論に参加することが期待されていると感じることができたら、いろんなことに好奇心をもち、知りたい、学びたいと感じやすくなります。社会から「のけもの」にされていると感じていたら、いろんな意欲がけずられてしまいます。

 「やさしい日本語」で教育すること、情報をつたえることも大事です。けれども、それだけではなくて、あかるい将来が見えること、想像できることが、なによりも大事です。

ここでは、社会とつながるための「ことばのバリアフリー」という視点から、日本語をつかって情報をやりとりすることについて、わたしの意見をまとめてみます。

1. ことばのバリアフリーとは

 まず、ことばのバリアフリーについて説明します。具体的な例をあげます。バリアフリーなエレベーターとは、どんなものをいうでしょうか。車いす使用者にとっては、鏡があること、じゅうぶん広いことが必要です。見えない人や見えにくい人にとっては、ボタンや階数をしめす表示の文字が見えやすいことが大事です。大きな字で、よみやすいフォントであることが必要です。ボタンのよこには点字も必要です。音声案内も必要です。さらには、わかりやすい音サインが必要です。その音サインが「ドアがしまる」ことを意味するのか、「定員オーバー」を意味するのか、誤解してしまうことがよくあります。非常連絡用のボタンをまちがえておさないように注意がきをしているエレベーターもよくあります。最近では、耳マークが表示されたボタンもあります。単純に見えて、エレベーターにもいろいろなボタンがあります。

 ボタンについては、やはりアラビア数字とピクトグラムがわかりやすいといえます。最近では、さわってわかるボタンも登場しています。点字をよまなくても、数字やドアのあけしめのボタンが指でよめるようになっています。

 このように、エレベーターにはつぎの3種類の情報があります。


・視覚情報(みる)

・聴覚情報(きく)

・触覚情報(さわる)


うえの3種類が、どれも、わかりやすいことが大事です。情報がごちゃごちゃしていると、混乱します。情報が整理してあることが大事です。多くの人にとっては、情報が構造化されていると、感覚的にわかるのです。それでも、だれでも、わからないときがあるし、わからない人もいます。そんなときのために、定期的にドアが開くようになっていれば、閉じこめ事故がなくせるかもしれません。いろんなことを想定しないといけません。

 トイレの個室は、エレベーター以上に密室です。たとえば駅の構内であれば、道ゆく人にたずねることができます。トイレの個室にひとりでいるときは、自分で判断しないといけません。しかし、日本のトイレには、いろんなボタンがあります。それでは、どうしたらいいのか。そんなことを議論することが、ことばのバリアフリーのポイントです。

2. むずかしい日本語とは

 文字のよみかきが苦手な人、日本語が第一言語ではない人は、日本語の文章をかくとき(入力するとき)、わからなくなることがあります。パ行なのか、バ行なのか。つまる音があるのか、どこがつまるのか。たとえば「アンタッチャブル」という音をきいて、文字にすることが困難な人もいるわけです。これは、どうにもできないむずかしさです。誤入力であることを機械が判断してなおしてくれる。そういうことはできます。けれども、限界があるでしょう。ルールどおりに文章をかくことは、そもそもむずかしいことです。けれども、いまの日本社会は、この「むずかしいこと」が「むずかしいです」とアピールしにくい状況であるように感じます。なぜなら、日本では「だれでも不自由なく文字がよみかきできる」というような固定観念があるからです。こまることがあっても「こまってます」といえない。まちがえることがあることが「あたりまえ」ではない社会。言語のなかにある問題と社会的な問題の両方があるのです。

 どの言語にも、それぞれの歴史があるので、複雑なところ、学習しにくいところがあります。それをわかりやすくすることも必要ですし、できることでもあるはずです。しかし、すべての人にとって「やさしい」言語というものは、どこにもないでしょう。それなら、発想をかえる必要がでてきます。

 ことばは、むずかしい。こまることがあって当然だ。だから、どんどん文句をいってください、わからないときは、わからないといってください。そのように、いっていくことが大事です。「これがやさしい日本語です」というのではなく、「ことばって、むずかしいですよね」ということが、逆説的に必要でしょう。

 日本語の文字を見てください。ひらがなだけでも日本語はかけるのに、カタカナがある。漢字もある。これはたいへんなバリアです。ひらがな、カタカナ、漢字があって、ローマ字もあって、漢字のそばには、ふりがながついていることもある。文章が、ごちゃごちゃしています。ここには、見やすさ(視認性)の問題もあります。それなのに、老眼の人にさえよめない、ちいさな字で本がかかれていたりするのです。こんなことでは、こまります。不便なことがあれば、どんどん意見をいっていいのです。その意見が大事にされる社会にしないといけません。

3. 日本語点字を墨字(すみじ)にすると

 文字には、ふたつの種類があります。墨字という、目でしかよめない文字が一般に使用されています。そして、目でも指(触覚)でもよめる文字として点字があります。点字は、目でもよめるのです。かきかたのルールをおぼえたら、よめるようになります。

 日本語の点字は、左上の3つの点をつかって母音(あいうえお)をあらわし、右下の3つの点をつかって子音(k、s、t、n…)をあらわします。その特徴を聞くだけで、日本語の点字に興味をもつ人はたくさんいるでしょう。

 点字は、紙や金属など、物理的なものを使用するものと電子データを使用するものがあります。点字データは、現在インターネット上で公開されているものもあります。読書に困難のある人だけが利用できる電子図書館(サピエ)にも点字データがあります(https://www.sapie.or.jp/)。

 点字データは専用の機械かソフトがないと表示できません。点字データは点字のでこぼこを表示する機械(点字ディスプレイ)をつかってよみます。点字データを目でよみかきするためのソフトもあります。ここで、日本語点字の文章を「よめる化」してみましょう。よめる化とは、「見える化」という表現をいいかえたものです。

 ここでは、日本語能力試験のウェブサイトの「点字ファイルダウンロード」というページにある点字ファイルを見てみます(http://www.jlpt.jp/tenji.html)。「新しい「日本語能力試験」ガイドブック(2009年発行)」というファイルには、つぎのような文章があります。

(ちゅーい)

 この 『あたらしい 【にほんご のーりょく しけん】 がいどぶっく(てんじ さっし じゅけんしゃよー)』わ、『あたらしい【にほんご のーりょく しけん】がいどぶっく』を もとに、てんじ じゅけんしゃに ひつよーな じょーほーを ばっすい して さくせい して います。なお、この がいどぶっくの しょーばんごーわ、すみじよーの 『あたらしい 【にほんご のーりょく しけん】 がいどぶっく』に あわせて います。

 多くの人にとって日本語の文字の世界は、漢字だらけのものです。しかし、点字をよめる化してみると、うえのような世界があるのです。表記の面からみた「むずかしい日本語」は、日本語点字をよめる化することで「やさしい日本語」になります。ただ、それが「よみやすい」と感じられるかどうかは、またべつの問題です。なぜなら、ふだんから目にしている表記とは、かなり距離があるからです。それでも、日本語のよみかきが苦手で、漢字がわからない人にとっては、よめるものなのです。

 これまで、日本語の文字についての議論では、漢字かなまじり文の複雑さを肯定的にとらえる議論が一般的でした。ただ注意してほしいのは、墨字の日本語の複雑さをほめすぎることは、日本語点字をばかにすることにつながるということです。日本語は、カタカナと漢字をつかわなくてもかけるのです。

4. 漢字かなまじり文を機械でよむと

 見えない人、見えにくい人、読字障害(ディスレクシア)の人、文字のよみかきが苦手な人にとっては、音声による情報が便利です。たとえば、ラジオやテレビ、ウェブ上の動画サイトは情報源として役にたちます。けれども、本がよみたい、文章をよみたいということもあるでしょう。そういうときには、オーディオブック(本を朗読したもの)や図書館(やサピエ)にある録音図書、機械による「よみあげ」も利用できます。ウェブ上の文章はもちろん、電子書籍をよみあげさせることもできます。ただやはり、機械によるよみあげにも、つぎのようなバリアがあります。


・漢字の誤読

・記号の誤読

・本文とふりがなの両方をよみあげてしまう

・不自然なアクセントやイントネーション


 インターネットのウェブページ(HTML)には、ふりがなを表示することができます。ウェブページに表示されたふりがなについては、よみあげソフトによって対応しているものと、対応していないものがあります。ふりがなに対応しているよみあげソフトでは、ふりがなのほうをよみあげるので正確なよみになります。ですが、ふりがなに対応していないよみあげソフトの場合、漢字とふりがなの両方をよみあげてしまいます。ふりがなは、目で見る場合は便利ですが、よみあげさせる場合には、そのような不都合があります。

 ここで、東京都による防災パンフレットの『東京防災』に注目してみます。『東京防災』はウェブでも公開されていて、PDFファイルだけではなくてテキストデータも公開されています(http://www.bousai.metro.tokyo.jp/1002147/1002271/1002406/)。また、『東京防災』のサイトでは、ページのうえにある「読み上げる」というボタンをおせばそのページの文章がよみあげられるようになっています。

・テキストデータ版を見ると、「はっさい直後」とか「ばいう前線」というように、機械がよみまちがえてしまうところをひらがなで表記しています。機械によみあげさせるための文章だからです。このようなとりくみは、ほかにもあります。固有名詞の漢字をひらがなにしている例があります。たとえば、北九州銀行や山口銀行のサイトです(なかの2015:157)。「正しく読み上げさせる ひらがなで」でウェブを検索してみてください。

・誤読をさけるために「障がい」というかきかたをしないという例もあります。よみあげソフトが「障がい」を「さわがい」とよんでしまうことがあるからです。アップル社のアイフォン(iPhone)やアイパッド(iPad)などでは、画面を上から下に指2本でなぞるだけで画面の文章のよみあげがはじまります。よみあげというのは、それだけ気軽にできるようになっています。よみあげ利用者がいることをふまえたウェブページをつくっていく必要があります。現在、日本語の「目で見るための表記」と「点字の表記」は、ことなるルールによってかかれています。これまで、ことばのバリアフリーのためには墨字と点字の両方による情報を用意することがもとめられてきました。今後は「よみあげさせるための表記」を用意することについても、検討していく必要があるのかもしれません。コストをかけて漢字を使用しつづける社会としては、必要な対応なのだといえるでしょう。それはつまり、人名や地名の固有名詞や誤読しやすい漢字をひらがなにしたものを用意するということです。

5. 態度の問題として

 就学免除、就学猶予(ゆうよ)といって、学校教育から排除された経験をもつ人たちがいます。1979年に養護学校が義務教育の対象になるまで、たくさんの身体障害者が「学校にいかなくてもいいよ」といわれていたのです。現在の価値観からすれば、障害のある人こそ、支援をうけながら、いろいろなことを学んでほしいというのが本当でしょう。しかし、むかしはそうではなかった。社会から放置されてしまった。それでも、なかには、そのころ登場した「ひらがなタイプライター」に出会った身体障害者もいたのです。もちろん一方で、文字のよみかきが苦手なまま大人になった人もたくさんいました。耳の聞こえない人で、学校にかよえなかった人もいます。いろいろな経験をした人たちがいるのです。そして、そのひとりひとりに、その人なりの言語生活があります。

 もちろん、やさしい日本語は大事です。わかりやすい表現が必要です。でも、それだけでは、だめなのです。

 現在、音声入力によって文章をかくこともできるようになっています。しゃべると機械のマイクがそれをひろって、機械が文章にしてくれるのです。便利です。しかし、だれでもその機能をつかえるわけではないのです。はっきりと発音できる人ばかりではないのです。

 便利な社会は、同時に、きびしい社会でもあります。だれかにとっては、つかえないものが社会で流行していて、「みんな」が話題にしている。自分だけがとりのこされた感じがする。おなじ思いをしている人には、なかなか出会えない。それは、つらいことです。バリアフリーじゃないということは、そういうことです。

 やさしい日本語は、どれだけ工夫してみても、バリアフリーではないのです。けれども、やさしい日本語をつくっていくことが必要です。だれでも、ひとりでいるときがあります。ひとりでやりたいことがあります。そのためには、身のまわりの道具が、つかいやすいことが大事です。身のまわりの情報が、わかりやすいことが大事です。けれども、なんでもかんでも「ひとりでしないといけない」というのは、まちがっています。「ひとりでできること」を個人に要求してはいけないのです。社会が期待しすぎてはいけないのです。

「わからない。てつだってよ」。「まちがえた。でも、べつにいいじゃん」。そういうことが、気軽にいえる社会のほうがバリアフリーです。態度がつくるバリアフリーもあるのです。

おわりに

 ここまで、なるべく、わかりやすいことばをつかってかいてみました。けれども、外来語をたくさんつかってしまいました。

 いまどきの機械は、ほんとうに便利で、どんどんバリアフリーになってきています。自分で文章をかけるようになってうれしいという人もいます。ただ、「便利な機械」のまわりでは外来語がたくさんつかわれています。機械はバリアフリーだけれども、ことばがバリアフリーじゃない。これは、かえていかないといけません。

参考文献

あべ・やすし 2010 「識字のユニバーサルデザイン」かどや・ひでのり/あべ・やすし編『識字の社会言語学』生活書院、284-342

あべ・やすし 2013 「情報保障と「やさしい日本語」」庵功雄(いおり・いさお)/イ・ヨンスク/森篤嗣(もり・あつし)編『「やさしい日本語」は何を目指すか』ココ出版、279-298

あべ・やすし 2015a 『ことばのバリアフリー―情報保障とコミュニケーションの障害学』生活書院

あべ・やすし 2015b 「漢字のバリアフリーにむけて」『ことばと文字』4号、97-105

岩宮眞一郎(いわみや・しんいちろう) 2012 『サイン音の科学』コロナ社

クァク・ジョンナン 2017 『日本手話とろう教育―日本語能力主義をこえて』生活書院

角知行(すみ・ともゆき) 2012 『識字神話をよみとく―「識字率99%」の国・日本というイデオロギー』明石書店

なかの・まき 2015a 『日本語点字のかなづかいの歴史的研究』三元社

なかの・まき 2015b 「日本語点字の表記論―漢字をつかわない日本語文字としての日本語点字」『ことばと文字』4号、106-112

西谷三四郎(にしたに・さんしろう)監修 1977 『障害児全員就学』日本文化科学社

日本騒音制御工学会編 2015 『バリアフリーと音』技報堂出版


 この文章は、『学習院女子大学主催シンポジウム〈やさしい日本語〉と多文化共生 予稿集』103-108ページに掲載され、「〈やさしい日本語〉と多文化共生」シンポジウムのページにPDFで公開されている文章をHTMLにしたものです。


あべ・やすし(ABE Yasusi)

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