多文化社会とコミュニケーション 第1回 動画教材「たとえば大学文化について」の文字化 - あべ やすし


※見出しなど、一部のみ修正してある。動画URLはユニパで通知した。


 1回目のですね、動画教材ですけれども。「たとえば大学文化について」ということで。

 あべ やすしです。「多文化社会とコミュニケーション」の動画教材一つめです。でですね。みなさん、あの配布資料をみていただいたと思うんですけれども、そのなかで「文化ってなんだろう」という話をしています。で、この動画では具体的に大学文化ということについてお話をしてですね、理解を深めていただこうと。そして、わたしのスタンスであるとか、大学教員側の、教員側のスタンスというものをちょっとね、みなさんに知っておいていただこうという趣旨で今回はやりたいと思います。

 文化というものは「見いだすもの」だということをプリントのなかで説明していると思います。文化を見出すというのは、いろんなものがある中で、いろんな現象があるなかで、ああ、これはこんな文化だな、こういう風な文化だなっていうのが、観察することで見えてくるということなんですけれども。たとえば大学の文化、大学教員の文化というものは、どういうものだろうかというのを、まず内側の視点から、大学教員の視点から、大学教員の文化について話したいということですね。

 で、まずですね。ひとつ絵をかきたいんですけれども。大学教員が思っている「大学の教育」というものは、「こうじゃないんだよ」ってことを、ちょっと絵で かいてみたいと思います。


上から教員にかみくだいてもらう鳥のような学生の絵

 「こうじゃない」と。


上から教員にかみくだいてもらう鳥のような学生の絵にバツじるし

 こうじゃないということですね。だいぶ わかりにくいですが。

 かみくだいてね、学生に、ふうううっと、こういう感じだよと。こういうもんじゃない、っていうことなんですよね。うん。これが大学ではないですよと。これが大学の関係ではないですよと。これが大学の学びではないですよ、という話なんですよ。


大学の学びとは

 大学では教員はまあいろんな情報提供とか、いろんなノウハウを伝えますけれども、それは結局、学生自身が自分のアンテナをきたえていって、学生自身が自分にとってどんなことが関心があるのかということを見つけてもらって、そこに突きすすんでもらうことを教員側は期待しているので。なので、なにもかも、手とり足とりね、伝えて、かみくだくといういうのではなくて、いろんな情報は提供するけれどもノウハウとかいろんな話はするんだけれども、結局は学生自身がつかみとる。なにかをつかみとるということが大事なんだということが大学です。なので、いろんなキーワードを学生に伝えて、こういったキーワードを知っていると、いろんな世界が見えてくるんだよというふうな情報提供はしていますよ。でも情報提供をうけた学生が、どんな部分に興味をもつのか、どんな部分がひびくのかということは、教員側には、わからないし。他人ですから。結局、学生自身、一人一人が見つけだすものなので、いろいろ入口は紹介するけれども、どの門に入るのか、どのドアに入って、中に入ろうとするのかというのは、学生自身がえらばないと しょうがないということです。


なんのために研究するのか

 でですね、教員というのは研究ということをやっているわけですよね。学生に授業するとか、ゼミをするとか、そういうこともやってる人もいますけれども、わたしは非常勤講師なので、いまはこの教養科目だけを担当していますが、ともかく、研究をそれぞれがやっているわけですね。で、その研究というのも、自分自身が見いだして、「これが、わたしがやりたいことだ」というのを見つけだして、形にしてきたからこそ、いろんなその業績、研究業績が積みあがっていくわけですよね。で、本を書いたりします。で、たとえば2015年に『ことばのバリアフリー』ていう本を書いたんですが、これはですね、別に、この本を書いて、わたしが もうかったという話では まったくないですね。むしろ、お金が かかりました。自己負担をして、本を出してもらったというぐらいのほうが近い。で、この本を学生が注文して買ってくれたとします。わたしの収入には一切なりません。印税ということはないわけです。とりあえずは。で、何回も何回もですね、この本が印刷されると、いわゆる「重版出来」ですね。重版出来ってことでどんどん出てくるとですね、そのときには、わたしの、そのときになって初めて、その印税収入というのが でてくる。あるいは、もともと ものすごくたくさん売れるのが前提となっていてたくさん出版されるような場合だと、まあ印税収入あるんでしょうけど、わたしには関係のないことです。じゃあ、なんで本を書いたりするのか。それは読んでほしいから。自分の文章をたくさんの人に読んでほしいから。形として残したいから、出版するわけです。なので、大学教員は自分の論文や本が引用されると、他の研究者に引用されると、非常に よろこびます。たとえば、この『ことばのバリアフリー』という本は、庵功雄(いおり・いさお)さんという人の『やさしい日本語』という岩波新書の本ですね、で、引用されているんですけれども、岩波新書というのは部数がたくさん印刷されるシリーズなんですよね。有名な。研究者なら みんな知っている。研究者にかぎらず、みんな知っているような、どの本屋に行っても置いてあるようなシリーズですよね。そういった本で引用されました、ああうれしいな。というのが教員の文化だということです。


研究するとは、どんなことか

教員は研究ということをやっているわけですけれども、それはどんなことをやっているかというと、まずこれまでどんな議論がされてきたのかってことをふまえたうえで、なおかつ、どんなことが議論されていないのか、ということを見いだしてそこに自分の役割というかですね、自分のツッコミどころを見つけだして、そこを形にするというのがオリジナリティーのある、独自性のある研究ということで、それが評価されるわけです。もしもこんな論文書いたんですよということで言ってもですね。すでに他の人がまったく同じようなことを過去に発表していたのであれば、あんた、誰誰さんの何年の論文読んでないの?って話になって、ああ、そうなんですかと。なんかすごいいい論文書いたと思ったんだけど、もうすでに言われてたことなのか、ということになって、むしろ自分のね、不勉強ということになるわけですね。そうではなくて、きちんとこれまでの議論をふまえたうえで、なおかつ、まだ言われていないことについて突っこんでいくっていうことが、意義のある研究ということになるわけです。

 つまり研究者の文化、大学教員の文化には、自分のものと他人のものをはっきり区別するという文化があります。これまでの研究はこういうもんで、私の研究はこうなんだという、区別をはっきりさせるわけです。だからこそ自分の文章と他人の文章はごっちゃにしない。たとえば論文の文章のなかで、この部分は誰誰さんの 文章ですよということをはっきりと明示する。出典を明示する。読者がそれをきっちりと判別できるように形をととのえる。これは、わたしの、地の文章で、この部分は引用ですよ、この部分は何々を参照したものですよ、ということをはっきりとさせる。という文化があります。それはなぜかというと独自性、オリジナリティを追求するのが研究者の文化だからです。

文化のウチとソト

 でですね。いま一つの一例として研究者の文化、大学教員の文化って話をしましたけれども、文化には、その内側で生きる人たちの文化というものと、外側からの視点、外側から見た文化ということもあります。まあそれはイメージとも言いますけれども、たとえば大学という空間の内側で 生活している人たちの文化がある一方で、その空間の外側から大学という空間を見ている人たちが、まなざす「大学のイメージ」というものがあるわけですよね。たとえばテレビドラマとか映画とかを見ると「なんとか教授」「なんとか教授」というふうに出てくるわけですよね。つまり、なんかメディアの中では大学教員=教授みたいなイメージがあるわけです。そのせいで、わたしは教授ではないのに、非常勤講師であるのに、「あべ教授」みたいなことを学生からのコメントのなかで言われるわけですね。これは非常に困るわけですよ。つまり、これというのは、たとえばでいうと、派遣社員の人を社長と呼ぶような話なんですね。

 わたしは教授じゃないんですよ。准教授でもない。非常勤講師です。だからわたしを「教授」と呼ぶことは間違っている。まあ先生というなら、まだ いいんですけれども、教授というのは やめてください。ちがいますから。平社員の人を捕まえてですね、部長と言ったりしないのと同じように、非常勤講師の人を教授とは いわないようにしてほしいんですけれども、でも大学の外では、大学の教員=教授みたいなイメージがある。ありますよね。そのせいで、わたしのような非常勤講師までが教授と呼ばれてしまうようなことがあります。つまり、外から見ていたその空間の文化というものは、内側、中に入ってみることで、あらためて見えてくる形や姿というのは、またあるわけですよね。内側に入ってみないと わからないことがあって、外側からのイメージでは見えていなかったことがあるわけです。


 つまり外側から見ていた文化というものとその中、その中での実態とのギャップというものが、だいたいあるわけですよね。これはどんな文化についても言えることです。いろんなイメージを持っているわけですけれども、たとえば神奈川県についてのイメージとか、アメリカについてのイメージとか、いろいろあるわけですけれども、行ってみないと わからないことって、やっぱりあるわけですよね。1回行ってみただけで わかることと、何回も行ってみないと わからないこと、住んでみないと わからないこと、住んでみても わからないこと、いろいろとあるわけですね。でもとりあえず、なんかのドアに入ってみないと わからないことって、けっこうあるわけです。

 なので今回はですね、メッセージ的に話をおわらせたいんですが、大学というのは、自分自身で なにかを見つけて、それについて、とことん追求していくこと。それが保障されるというか、許されるというか、推奨される場であるというふうに言えると思いますので、なにか自分が面白いと思うことについて、どんどんですね、ドアをたたいて、中に入ってみてください。

以上です。


リンクと説明

配布資料など:http://hituzinosanpo.sakura.ne.jp/tabunka2020/


『ことばのバリアフリー』もくじと関連情報
http://hituzinosanpo.sakura.ne.jp/kotoba2015/


庵功雄(いおり・いさお) 2016 『やさしい日本語』岩波新書

https://www.iwanami.co.jp/book/b243840.html


キーワード:「独自性」「出典」「文化のウチとソト」


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